アーリーリタイアを目指す独身貴族

30代独身男性です。近々FIRE(やセミリタイア)予定です。

選択的夫婦別姓制度のロジックは一般に適用できるか?

 

イントロ

アベプラで選択的夫婦別姓の問題が取り上げられていました(何回目だろう)

abema.tv

アベプラは面白い内容が多いのでオススメです。

 

選択的夫婦別姓の議論

賛成派は主に、”選択的”なのだから、同性にしたい人はそのままにすればいい

パスポートや特許などでの不便利や手続きの煩雑さ等を理由に別姓を認めてほしい

という主張かと思います。

なお、私も賛成の立場です。

 

反対派の主張は、家・戸籍制度と関連させて、(具体性がなくよくわからないが)文化伝統的な視点から反対していることが多いと思います。

子供の不利益を主張する人も多いですが、離婚等で名前が変わることも現状ありますし、別姓が普通になればそれほど問題にはならないでしょう。

 

選択的な制度は認めろという論理はいつでも使えるのか?

例として、売春、麻薬、安楽死を取り上げましょう。

 

売春

売春行為は現状では、売春行為それ自体は違法だが罰則がない。客引きや管理売春については違法かと思います。売春はもちろん選択的な行為です。

これを公に認めるというのはどう思われますか?

売春をしたくない人が売春を強要されることはないでしょうし、いわゆる借金の方に人身売買されるようなケースでは監禁罪、強制性交等罪など他の法律で対処できるでしょう。ではなぜ多くの人は、選択的な行為である売春を認めないのでしょうか?

 

「性を売るのは良くない」というのは価値観の押し付けであり、貴方が売春をしない自由は認められているのになぜ他人が売春をするという自由は認めないのでしょうか?

別の反対意見として、売春によって、(主にお金に困った女性が)売春をしたくないのにせざるをえない状況に追い込まれるのでは?という指摘があるでしょう。

しかし、鳶職をしてる人はある意味で死ぬリスクを背負う代わりに他より高い年収という現実もあるので、避ける人が多い職業が高年収になるのは当然ですし、生活保護などでも無理やり特定の職業につくように強制するのはルール違反でしょう

なので、本当にお金が無いなら生活保護に頼ればよく、さほどお金に困ってないが贅沢したいという理由で売春をする人の自由は認められるべきでしょう

 

売春を認めると、性病が蔓延するという問題を考えるかたがいるかもしれませんが、

そうであれば、単純売春を厳格に違法化する、そもそも婚前交渉を違法化すべきでしょう。

これらを考慮すると、売春に反対している人は、(具体性がなくよくわからないが)社会モラルが低くなってしまうという考えに基づいて反対しているのではないでしょうか?

それは、(具体性がなくよくわからないが)文化伝統が崩れるという選択的夫婦別姓反対派と何が違うのでしょうか?

 

麻薬

大麻解禁などが以前議論になりましたが、これも近いものがあります。

大麻がなくても、困らないとか健康に悪いので吸わないほうがいいという論理は

通じないでしょう。それは価値観の押し付けです(健康についてはその分税金とればいいだけなので)。

 

大麻解禁されて犯罪被害になるのを心配する人がいます。これは夫婦別姓と違って実害という側面からやや厳しい指摘です。

つまり、大麻解禁して、迷惑かけられるのが嫌だから反対ということです。

これは一定正しいと思いますが、アルコールなど(の明らかに向精神作用があり、暴力事件とも関連しているもの)は認めるが、大麻はNGというのは矛盾しているでしょう。

 

もちろん、理想として両方ないほうがいいか、アルコールは蔓延しすぎていて、禁止できない(例えば禁酒法のように暴力団の資金源になってしまうかもしれない)

なので、消極的にアルコールは認めざるを得ないが、大麻は少なくとも日本では使っている人がいないので、禁止するべき

この論法は相当程度正しいと思われますが、では移民が増えたりして、実際の使用率が大麻でも上がってくれば、なし崩し的に認めるのか?と聞かれれば(アルコールと同様の理屈で)消極的に認めざるを得ないとなるので、こういう意思決定システムは本当によいのか疑義が残ります

 

安楽死

安楽死というのは究極的な 選択的な行為です。安楽死を認めても今生きてる人が、死ぬことを強制されることはないでしょう。ではなぜ我々は安楽死を認めないのでしょうか?

もちろん生きるのは良いことだというのは価値観の押し付けですよね(しつこい)

 

安楽死を認めると、(本音では生きたいのに)周りからのプレッシャーで死ぬことを強制される、生きたら生きていたで、迷惑をかけていると非難されるのでは?

という意見があります。

 

これは優生保護法に関して、日本のフェミニスト

羊水診断で胎児の障害が分かるようになり、それが理由で中絶がOKになると、自己決定の責任を取らされる(つまり周りからのプレッシャーで中絶”させられる”のに、自分の意志で赤ちゃんを殺したという罪悪感を負わされる。産んだら産んだで、障害あることを承知の上で産んだんでしょと言われる)

という議論に似ているかなと思います。

 

少々長いですが、参考になるリンクを置いておきます。興味深い論法です。

f:id:tamesen_earlyreitire:20210314204038p:plain

http://www.lifestudies.org/jp/woman01.htm

(話はそれまずが、この日本のフェミニストのロジックは興味深いです。西欧だと、子供を産む産まないは女性の自己決定権の一部だ、実際にお腹を痛めたりしんどい思いをするのは女性なんだから、中絶は悪いこととか言って、価値観押し付ける男性はうざいという論法だったので、日本と西欧で違いがあり、面白いです)

 

まとめ

私はリバタリアン的な発想の持ち主なので、今回は選択的な行為を認めるべきだという主張をメインに書きました。私達はダイバシティなどが重視される=相対主義が正しく、それらの多様性を認めるべきという世界に住んでいます。

諸外国で選択的夫婦別姓は当然という国もありますし、大麻だったり、安楽死の解禁が進んでいるように、これからも多くの選択的な行為が認められることでしょう

実際に、自分の意志で、自分に都合が良い方を決められる選択的な行為というのは、魅力的です。そんな世界で、フェミニズムが指摘している自己決定権のジレンマは重要ではないでしょうか?